詠人不知

9月9日は何の日?

もうすぐ9月9日ですが、何の日かご存じですか。

今ではすっかりマイナーな存在ですが、9月9日は五節句の一つである
重陽(ちょうよう)の節句の日です。別名、菊の節句とも言います。
菊と言えば、秋の代表的な花の一つですね。菊は葬儀などにも
使われるように、古来より仙境に咲く霊薬として邪気を払う力があると
信じられて来ました。したがってこの日は、実際に菊の花びらを浮かべた
菊酒を飲んだり、同じく秋の収穫物である栗を使った栗ご飯を食べたりして、
無病息災や長寿を願ってきました。

実際にこの日が近くなると、スーパーなどでも栗ご飯(の素)だけでなく、
菊の花びらが並んでいます。

重陽の節句は平安時代に中国から伝わって来たそうです。中国では奇数が
縁起のいい陽数であり、奇数が重なる3月3日、5月5日、7月7日などを祝い
節句としてきました。いずれも良く知られたお節句ですね。ちなみに1月1日は
特別な元旦ですから1月の節句だけは1月7日となりました。ご存じの通り、
七草粥を食べて長寿を願う日です。

最初の4つのお節句は有名なのに、なぜか9月9日はあまり知られていない
ようです。しかし9は陽数のなかでも一番大きくて縁起がいい数なのです。
その目出度い9が2つも重なるから重陽と呼ぶのです。そんな縁起のいい日を
素通りするのは、実にもったいないと思いませんか?我々は商売人ですから、
担げる縁起はどんどん担ぎましょう!

これも健康経営の一環だ、とまでは言いませんが、自身や家族の長寿と
無病息災を願う日です。願って損することなどありません。
すべてのことは願うことから始まるのです。

大人になったらなりたい職業

ひと昔前なら、男の子はお巡りさんか運転手さん、女の子は花嫁さんかケーキ屋さん。
それが今ではガラッと変わり、Youtuberやサッカー選手がランクイン。
でも、そんな変化ですら、もう遠い過去の話だということを、つい最近知りました。


第一生命が毎年行っている調査で、今年 中学生、高校生の男女とも、
大人になったらなりたいものの1位が、ついに会社員になったそうです。
小学女子だけは4位ですが、小学男子ではやはり1位が会社員なのです。
驚きですね!隔世の感がありませんか。
コロナ禍の在宅勤務で会社員のご両親が身近になったからでしょうか。
あるいは冷め切った安定志向や現実志向の顕れでしょうか。


でも実は私自身、この傾向をプラスに感じています。
なぜなら、会社員というのは実際のところ職業
というよりは就業形態に過ぎません。
何をするかはまだ決まっておらず、高い自由度があるからです。
そして一人だけで頑張るのではなく、
会社という組織の一員になるというというところが、
電巧社の「絆」経営につながるからでもあります。


電巧社社員には紹介済みの本に、
「僕は世界一楽しいサラリーマン」という本があります。
サラリーマン=会社員です。
あい対する個人事業主は、毎月食べていくために、やりたくない仕事にも
手を出さなくてはならないけれど、サラリーマンは毎月お金が自動で
振り込まれる(給料)のだから、思う存分、仕事という本気のゲームを
楽しもうという趣旨の本です。


もちろん、そんな考えで会社員を選んでいるはずはないでしょう。
でも夢も可能性も広い方がずっと楽しいですよね。

今昔の感

最近、田町駅からタクシーに乗車する際に<新堀商店街><七曲り>と言っても知らないドライバーが多く、少々手間がかかるなと感じております。久々に何も言わず黙って連れて来てくれたドライバーから、昔の商店街の歴史を色々伺ったところ「縁日が出ていたりしていたよ」という発言が。そう言えば確かに縁日の記憶が有り、残業前に屋台で買い物した記憶も蘇えってきました。ネットで検索してみたら、港区のホームページに1987年の写真が掲載されていました。
参考:写真今昔物語 第43話|東京都港区ホームページ

今とは雰囲気が違い、昔風の風情のある商店街だったような記憶が有ります。その当時、旧 本社に居たころは、完全週休2日制でなく隔週、土曜日出勤(半日)で当時の先輩たちと昼食を食べ午後から残業する生活でした。

店名は出せませんが、とある店でカレーライスを頼んだら見た目も味も期待を超えず、でそれっきり行くのを辞めた店が有ります。こちらに戻り、久々に怖いもの見たさで久々に行こうかと思うことも有りますが、30年以上前の記憶が鮮明でまだその気になりません。

当時の社屋は、空調も個別ではありませんでした。夏18時以降は冷房が止まり、おお汗かきながら。冬は寒くて底冷えし、足元に電気ストーブ置いて残業していた記憶が懐かしく思います。正直、当時と今の職場環境は「天と地」ですね。色んな方々に感謝です。

皆勤賞ってご存知ですか?

一年間に亘り、1日の有給休暇も取得せず出勤することによって会社からいただけたアワードのことです。

私が受賞した昭和61年(1986年)頃は、休まずに働く社員を「いい社員」として称賛しました。ですから、それに応えるよう、私も自ら狙ってこのアワードを獲りに励みました。皆勤賞は他の賞と異なり、唯一会社からの評価に関係なく、自分自身の努力の結果でいただけるアワードでしたので。

有休休暇5日間の取得義務のある今となっては、嘘のようなアワードです。この35年間で、休暇に対する考え方は大きく変わりました。「休まない」から「休め」へ、180度の転換です。 
この表彰状をあらためて読み返すと表彰理由が2つ記されています。「あなたの日頃の節制」と「ご家族の協力」です。 
さて、この皆勤賞を「皆勤」を「活躍」に。そして「節制」ではなく「健康」に書き換えてみました。「家族の協力」は「家族も同じように健康に取り組む」ことと明確にしてみます。

「あなたがこの一年間を通じ活躍されたことは ご自身とご家族の健康への取り組みを基盤とした成果であり誠にうれしく思います」
 健康を軸に据えてみると、当時の休暇の考え方は180度の転換をしましたが、働き方の考え方にはブレがないことに改めて気づかされます。 
最近、自分自身の健康はもちろんのこと、家族の健康も同じくらい大切だと痛感しています。家族が健康でないと思う存分に仕事をすることが出来ません。自分だけでなく、家族も健康に取り組むことが必要だと思います。家族も含めて健康だからこそ活躍ができると思うのです。

 お互いに、しっかりと健康に取り組んで活躍しましょう!

【いただいた皆勤賞】

『電巧社Way実践プロジェクト』の紹介

営業本部、芝浦工場、管理本部で6つのグループが『電巧社Way実践プロジェクト』という活動をおこなっています。取組みの難しさもあり意識や活動がやや停滞気味であります。皆さんの応援を頂きたく一端を紹介いたします。

『電巧社Way実践プロジェクト』とは、どんなことで私たちの働きがいが高まるか、
グループごとに話し合い実践してみようという活動です。

営業本部では月1で商店街のゴミ拾いをおこない、
日ごろ感じることの少ない地域社会との接点づくりを目論んでいます。
工場では生産した配電盤の納入先を写真やコメントで掲示、日々の仕事が
社会インフラにどのように関わっているか見知れるように準備しています。
昼食前の5分間をワイガヤタイムとし、職場内のコミュニケーション促進を
目指す活動もおこなわれています。

こうしたグループごとの取組を皆さんに応援いただけるように、
ポータルサイトから確認できる仕組みを準備しており、間もなく整います。
上手くいっていること、頓挫してしまうこと、経過は様々になりましょうが、
私はPDCAを回しながら継続することで、どんなことで働きがいが高まるのか、
電巧社らしさを磨くってどんなことか、様々な気づきがあるように思います。
応援を宜しくお願いします。

3つの幸福

今年、私は月2回のペースで経営理念伝承会を行っています。
東京については7月で完了し、あとは支店営業所を残すのみとなる予定です。
私は経営理念の「全社員が人生の成功者になる」という考えのなか、成功の基本要素として「健康」「絆」「幸福」の3つを挙げていますが、説明するたびに、この考え方がしっくりと感じ、自信を深めてきました。


実は、つい最近「精神科医が見つけた3つの幸福」という面白い本が出版されました。
海外旅行をすれば誰でも感じるように、日本ほど恵まれた国はなかなかありません。
にもかかわらず2020年、日本人の幸福度世界ランキングは153か国中62位と、先進国の中でも最低です。そんななか、幸せになるための実践的なガイドブックとして、この本は出版されました。

冒頭でいきなり「幸せになりたいですか?」と聞いてくるのですが、「そもそも幸せとは何か?」という目的地を定めないで、そこに到達することはありませんと言い切るところからこの本は始まります。
著者は精神科医師です。
幸せを感じるときに脳内で起こる化学反応に注目し、幸福ホルモンと呼ばれるドーパミン、セロトニン、オキシトシンの3つが分泌させる条件づくりこそが幸せになる方法だと定義しています。

ここからが面白いところなのですが、セロトニン的幸福を一言で表すと「心と体の健康」で、オキシトシン的幸福は「繋がりと愛」。すなわち人間関係・友情・コミュニティへの所属=「絆」でしょう。そして3つ目のドーパミン的幸福は「成功・達成・お金・富・名誉・地位など」だというのです。いかがですか。私の主張と同じではないでしょうか。

興味深いのは、この3つには優先順位があり、セロトニン(健康)⇒オキシトシン(つながり)⇒ドーパミン(成功)の順番を間違えるとかえって不幸になるという警告です。
よく考えれば当然のことで、先ずは基礎となる土台づくりが大切です。
病気の中の成功も、一人ぼっちの成功も幸せとは言い難いですよね。

思いがけず、私の主張に科学的な理論が付け加わりました。
皆さん、自分を大切に、家族や仲間を大切にして、仕事を頑張りましょう。

営業の心得

1ヶ月程前、帰宅後、NHKの『プロジェクトX』で、日本ビクターの『ミスターVHS』と呼ばれた高野 鎮雄さんの映像が流れており、
後半だけ見ておりました。

今の若い人は知らないと思いますが、高野さんは1970年代に
『世界のソニー』に絶対的不利と言われたビデオ戦争に勝利し、
世界規格へと押し上げた立役者です。横須賀の工場で16ミリの
映写機や放送機器の開発に取り組んでいた技術屋の高野さん。
1970年に事業部長就任を命ぜられ、1年で首が飛ぶと言われた
VTR事業へと異動。番組は、開発当初の苦労や本社の開発から
工場の製造に移された技術者50人と葛藤や成功へ向けて
情熱がよく伝わる良い内容でした。

彼は『とにかく部下を大事にする人』だったらしく、
200人もいる部下の名前を覚え、
工場内に営業、設計、開発、技術の仕切りを一切設けなかったそうです。
また、誰もが小さいけど知恵を持っている。
社員の家族、友人からの情報を集める事を大切にし、
物言わぬサイレントマジョリティーの情報まで知ることが、
彼のニーズ優先という想いだった。

開発に成功した後も、惜しげもなくライバル会社へと試作機を無条件に
貸出す高野さんの心意気に、『この人となら』とひいては
『このメーカーとなら』と思われていたそう。
これは現代も通ずる営業の基本かなとしみじみ感じています。

仕事をするとはどういうことか?
結局は、自分が他者に対して何を為しえるかということに尽きるのか。
上司と部下との関係であれ、モノを作る側と消費する関係でも一緒かなと。
我々は、他社に何事かを為し、
歓ばれ感謝される以外で収入を得ていくことは出来ない、
と言いたかったのかと思います。

最後に、定年を迎えた高野さんは社員の前の挨拶で、
仕事でも趣味でもなんでも良いので『夢中になれることを』
一つ持つことの重要性、そして、この場で働けたこと、
皆さんに出会えたことに感謝してもしきれないと話されておりました。
こういう人生送った人が、人生の成功者かな?と感じます。
部下とはマネジメントについてよく議論しますが、
昭和生まれの私に耳に入りやすい言葉でした。

社内でもYさん、Oさんという大先輩がおります。
Yさんは、コンポーネント系、Oさんは、発電機と扱う商材は違いますが、
このお二方にも高野さんと同じような共通点を感じております。
数ヶ月前、Yさんと久々に厳格な3密対策の店での会食時に
『どうして売りにくいインバータ』をYさんは売れるのと聞いたところ、
珍しくまじめに『情熱』と言われたのを記憶しています。
多分本人は、酔って覚えていないかもしれませんが(笑)。
お二方とも未だに元気で活躍されているのは、高野さんの話でないですが、
仕事に対する『情熱』と『この人となら』と顧客や仕入先に
伝わっているんだな とふと思いました。

電巧社BBQの歴史

 まずは、この写真を見てください。さて、何の写真でしょうか?

どこかのビアガーデンのようですが、実は1990年初頭に現:芝浦サテライトの屋上で開催されたBBQの風景なんです。飾られている提灯には、協賛していただいたのお取引先の社名が筆書きされています。提灯の下でマイクを握る人は、プロの歌手なんです。積み重ねたパレットのステージで歌っているところです。


 「電巧社と言えばBBQ」と、今や社員やその家族、OB、お取引先に名物として知れ渡っていますが、その歴史は芝浦工場がはじまりです。1985年に“焼き台”なる巨大なBBQコンロ数台を鈑金屋さんに特注し、その年からBBQが恒例行事となりました。当時は建物の屋内作業場で開催していました。


 本社社屋(現:芝浦サテライト)が竣工した1988年からは、移転してきた商社(現:営業本部)の人たちも一緒になって、夏の夜に屋上でのBBQを毎年楽しんでいました。


 2016年には創業88年の感謝イベントとして “お客さまデー”と銘打ったBBQを開催し、現在の”THANX BBQ”&“FAMILY BBQ”へとつながっていきます。

芝浦工場 約50人の暑気払いのために、“焼き台”で焼くアユなどを調達しに築地場内市場に買い出しに行ったあのイベントが、今や総勢600人規模の名物イベントになったことに感慨無量の思いです。

 
本来でしたら、今月はBBQが開催されるはずでした。楽しみにされていた人も多かったことと思います。でも、お楽しみはもう少し我慢です。再開を待ちましょう。その時には、電巧社のBBQの歴史を思い出してくださいね。

『絆』の重要性

『たいやきくん型』『漢方薬型』『麻雀牌型』『ETC型』
これなんだか判りますか?

現代コミュニケーション・センターが命名、発表した
過去の新入社員タイプ一覧の抜粋です。

因みに私は、昭和58年入社の『麻雀牌型』で
『大きさと形同じで並べやすいが、中身判らず』だそうです。
全体評価なので一概には言えませんが、なるほどと思うことも有ります。

最近の新入社員の方と自分の時代と比べると、使えたツールが電卓のみだった
私とPCを自由に使いこなす姿や面接の対応などを見ると格段の差を感じます。

皆さん色んな事をよく勉強されて立派だなと思います。

私の時代は、色んな猛者がいて対応に困った時に、
社内外の先輩達にずいぶんお世話になりました。

こころ許せる人がいて、ずいぶん助けて頂いた記憶が有ります。
多く持つ必要はないと思いますが、信頼できる人がいるというのは
心強いのではないでしょうか。

社内で話題に上がる『絆』の重要性はいつの時代も変わりないものだと思い、
営業として大事なキーワードだと、最近特に感じております。

新型コロナに思う

ついに東京も1000人を超えた。
新型コロナの新規感染者数のことである。
もしかして、これは新型コロナの第3波第4波などではなく、
コロナ変異種の第1波ではないだろうか。
本来、伝染病というものは、ある程度蔓延すると、
自然と収束に向かうものだ。
だから今頃になってこの激しい広がり方は、従来の新型コロナとは
明らかに違うように感じる。
今まで感染しても重症化にくかった若年層においても
症状が軽いとは限らないようだ。
東京を遥かに上回っていた大阪の新規感染者数が頭打ちになって来た。
舞台は東京に移りつつあるから、要注意。
これからが正念場だ。

既に第1波が終わっていたインドでも、
インド型の変異種が猛威を振るっている。
ふと思う・・・1日30万人の新規感染者を、どうやって数えたのだろう。
インド人は数学が得意だからか。

ワクチンがなかなか巡ってこないのは、
日本政府、特に厚労省の失態だと聞こえてくる。
いまワクチンを一番欲しがっているのは、
オリンピックを目前に控えた日本のはずだ。
菅総理の訪米目的が見えづらかったが、
ワクチンを求めに行ったのではなかったのか。
政治には必ずシナリオとなるストーリが隠されている。
私が総理なら、ここでワクチンを交渉奪取して人気を取り、総選挙に備える。
誰でも思い付く薄っぺたいシナリオだが、どうやら失敗外交だったのか。
さてはバイデンはオリンピックをやらせない
腹積もりではと感じたが、考え過ぎか。

新型コロナに罹ると、対症療法しか出来ないと聞く。
しかし、調べてみると、可能性のありそうな
治療薬候補(治験中)がいくつもあるようだ。
ひとつは東京都医師会が取り上げているイベルメクチン。
もともとは抗寄生虫薬だそうだ。
もう一つ、コルヒチンという通風薬。
痛風の方は普通に手に入るのかもしれない。
果たして効果があるのか、現時点では不明である。
清肺排毒蕩という漢方薬は、
既に中国・台湾で広く新型コロナに使用されている。
いずれも治療薬であって、予防薬ではない。
ワクチンが行き渡れば、この騒ぎがウソだったように静まるのだろうか。
そんな期待を込めて、ワクチンが待ち遠しい。

予防は自身の免疫力を上げるのが一番。
これには補中益気湯という漢方薬がツムラ41番で容易に手に入るが、
それよりも大切なのは睡眠をしっかりとることに違いない。

新型コロナとオリンピック

 好きか嫌いかはともかくとして、小池都知事の話は分かり易いです。
どうしてだろうと考えたら、発言する文章が短かいことに気付きました。
これは論文を書く時の基本中の基本でもあります。
「外食は控えて下さい。」(…でもオリンピックは控えないの)
「県を跨ぐ移動は控えましょう。」(…でも国境を跨ぐオリンピックは別なの)
と、裏の意味を別とすればかなり明確です。(笑)

それに引き換え、菅総理大臣の表現は微妙です。
「人類がコロナに打ち勝った証しとして東京オリンピックを開催したい。」
今週から、やっと高齢者のワクチン接種が始まりますが、
我々にワクチンが回ってくるのはかなり先です。
何をもって打ち勝ったと言うつもりなのか…?
理解に苦しみます。


コロナも自然の一部です。
自然に対して勝った負けたと言うのは人間の驕りだと思います。
今後我々が目指すべきは、(あるいは、受け入れるべきは)
コロナとの共生ではないでしょうか。

このままいけばオリンピックは必ず開催されます。
難しいと知りながら、誰もNoと言わない。
それは中止すれば多額の損失を被ることが分かっているからです。
誰しもそのきっかけにはなりたくはないでしょう。
古い話ですが、戦争に突き進むのを止められなかった日本を彷彿させます。
そんな泣き言はともかく、開催されれば生涯最後の東京オリンピックです。

開催まで、あとおよそ100日です。大いに楽しみましょう。

建国記念の日と創立記念日

今日、2月11日は祝日ですが、何の日がご存じですか?
そう、建国記念の日です。

日本をいつだれが作ったのかは、古事記にある神話の世界になるため、学校で習った人は少ないでしょう。実は初代天皇である神武天皇が即位したのが紀元前660年1月1日で、これを新暦に換算した日が2月11日だと言われています。そもそも明治時代には紀元節という建国を祝う祝日がありましたが、戦後にGHQにより廃止され、1966年になって、やっと建国記念の日が祝日となりました。

建国をしのび、国を愛する心を養う日だそうです。戦後、愛国心が失われたと言われますが、日本人に限らず、自国を愛し、誇りに思う気持ちは大切だと思います。国威高揚とは申しませんが、その意味でも、オリンピックが開催されると嬉しいですね。

さて、本題です。2月11日にはもう一つ、大切な意味がありますが、ご存じでしょうか?
そう、電巧社の創立記念日です。(社員以外の方、すみません!)

1928年2月11日に電巧社は産声を上げました。余談ですが、丁度この日に始まったスイスの冬季オリンピックに日本は初参加しました。

電巧社は今日で93歳になります。お客様をお招きしてお祝いの会を開いた90周年からもう3年も経ちました。令和10年(2028年)の記念すべき100周年に向けたカウントダウンは、既に始まっています。

愛国心ならぬ愛社精神は、是非持ってくださいとお願いするものではなく、皆で力を合わせてより良い会社を作っていく過程で築かれていくものだと思います。
力を合わせる・・・経営理念こそが一致団結の旗頭です。今月より毎月、全社員に向けた経営理念伝承会をスタートいたしました。

家電からペット、そしてトモダチへ

声で操作する。慣れるまでは抵抗があった。でも慣れてしまうと、こんなに便利なものはない。


「OK Google、今年のヒットソングかけて」部屋の片付けにBGMがほしいとき。 


「Hey Siri、タイマー3分」カップラーメンを作るとき。 


「Alexa、電気消して」布団に入って寝るとき。 


”ボタンを押す”という、とても些細な動作が”声を出す”に変わった。

私自身、それくらい自分で動こうよ、と思っていました。しかし声で操作することで、「ながら操作」が出来るようになったのです。掃除をしながら。お湯を入れながら。布団にもぐりながら。これがとっても便利でした。


もちろんひとつのAIだけでもこれらの操作は実現可能なのですが、今回、代表的な3つのAIを試して比較してみました。 


結果、声の認識率やサービス連携でAmazonのAlexa、iPhoneが手元にあるためSiri、の2つを使い分けることに。

近い将来、家電のほとんどは声で操作する時代になるでしょう。ペットのAIロボットも開発が進んでいるようです。
家での話し相手が、トモダチが、AIになる時代はすぐそこかもしれない。

(M)

カジュアルエブリデー、スタート

こんにちは、メディア担当のMANOです。
前回の記事で「電巧社カジュアルフライデー」の取組みを紹介し、いずれ「カジュアルエブリデー」になったらいいな、と願いを込めたわけですが、その願いがたった3ヶ月で叶いました!
ただし、全社的にではなく、一部の部門限定スタートです。それは、システムインテグレーションやITコンサルティング業務を担う「SI事業部」、2017年12月から「カジュアルエブリデー」を実施しています!

カジュアルエブリデーとは、毎日私服(カジュアル)で勤務すること。SI事業部は、SE(システムエンジニア)が集まる部門ですから、業界的には私服が多数派です。これまで会社としてスーツ勤務が当たり前だった電巧社では、SEの社員もスーツで勤務していました。

ですが、これでは時代にそぐわない!
皆、同じスーツスタイルでクリエイティブで自由な発想ができるのか!!
外国人の社員もいるグローバルな環境なのに、こんなことでいいのか!!!
電巧社の今年度のテーマは「殻破り」さぁ、殻を破ろう!

ということで、毎日、私服勤務になりました。

ちなみに、ドレスコードは、カジュアルフライデーのものより少し緩やかです。一番のポイントは、TシャツOKということ。
GoogleやAppleをはじめ、今どきのIT関連企業って、ジーンズにTシャツのイメージありませんか?そういう格好を目指しています。
大切なことは、オシャレでカッコイイこと。
近年話題の「働き方改革」というと、長時間労働の改善が注目されがちですが、働く人の見た目や働く環境を良くしていくことも、とっても大事なことです。
現在 電巧社SI事業部では、オフィス環境も「よりクリエイティブに、より快適に」を目指してアップグレードを計画中です。
なお全社的に「カジュアルフライデー」は継続実施しております。

カジュアルフライデーは私服出勤!業界の常識を変えるのか?

こんにちは、DENKOSHAメディア担当のMANOです。
今どきのIT企業では私服出勤が当たり前なのかもしれませんが、私たち電機業界では、まだまだ私服なんて許されない風潮があります。
「私服で通勤できたらいいな」「スーツだけなんてつまらない」「職場でもオシャレがしたい!」
こんな職場への理想を、電機業界でも実現できる会社があったらいかがでしょうか?

実は、電巧社ではクールビズの期間に、「カジュアルフライデー」と言われるカジュアルな服装で出勤できる日を設けました。
そもそもカジュアルフライデーとは、米国発祥の「カジュアルデー」を日本では、金曜日に実施しましょう、ということで、はじまったらしく、クールビズより歴史は長いようです。
ちなみに「クールビズ」は日本発祥のビジネススタイルです。ノーネクタイ、ノージャケットの軽装でOKですが、スラックスにYシャツが基本スタイルです。

では、カジュアルフライデーの服装はどこまでOKなのでしょうか。そこで電巧社は「ドレスコード」を設けました。
共通する条件は、「きれいめスタイルで、オシャレなこと」だらしない格好や部屋着・普段着のような格好はNGです。

男性の場合OK きれいめジーンズ、アンクルパンツに裸足、無地ポロシャツ、           無地Tシャツにジャケット、スニーカーなどNG ダメージ加工、柄シャツ、サンダル、ショートパンツ、アロハなど
女性の場合OK ノースリーブ、ワンピース、バミューダパンツ、Tシャツ、デニムなどNG 太ももが見えるミニスカート、肌の露出が多い服、マキシ丈など

しかし、いまだ業界ではスーツが当たり前です。
お客様に接する受付や営業担当者の人が、突然、カジュアルな服装で応対してしまうと、相手によっては失礼な印象を与えてしまう可能性があります。
そこで、実施してまだ日の浅い電巧社では、「金曜日を社内業務中心の日にする」「受付にポスターを貼る」などの工夫をして対応しています。

この日は、社内が私服の人たちであふれるため、見慣れるまでは「休日か?」と思うほど不思議な雰囲気でした。
社内の雰囲気は以前よりさらに明るくなり、オシャレを楽しむことが出来るようになって、自由な空気が広がったようです!

“人生を豊かにするために服装にこだわりたい””自由な服装で、自由な発想をしたい”こんな想いを実現するために、電巧社の「殻破り」の一つがカジュアルフライデーなのです。

今は金曜日だけですが、いずれ電機業界の常識が、クールビズからカジュアルエブリデー(毎日)になることを願っています。

(2017年時点の制度です)

Vol.31 「電巧社の味」

なんとも、ヘンテコリンな響きですね。弊社は電気の総合商社、工場なのに味がするものをお届けしているのでしょうか?
電巧社がお客様にへの感謝の気持ちとさせて頂いている銘菓、湯島、『花月のかりんとう』の事です。
今から六十年以上遡る戦後の物の無い時代から創業者 中嶋次重はお客様への手土産に『花月のかりんとう』を持って行きました。
理由は…ただ一つ、“美味しいから”(日持ちもするのでお客様の御都合で召し上がって頂ける事も良いと考えた様です)
時代は平成へと移り変わりましたが、お客様に喜んで頂きたいという思いは変わらず、電巧社では花月のかりんとうを贔屓にしています。
さてさて、花月さんの栞を読んでみるとこんな事が書いてありました。
あるとき職人がかりんとうに使う砂糖をうっかり煮詰め過ぎ、飴になってしまったそうです。捨てるのは勿体無いので試しにそのまま作った所、宝石のように美しくて美味しいかりんとうが生まれたそうです。

なんと!失敗から生まれたとは!それを聞いてそっくりなエピソードを思い出しました。

ヴァイオリンの名器、ストラディバリウス。製作者のアントニオ氏がニスを煮詰めて炭化直前を狙い、それを塗布した所まるで備長炭の様な高音の響きを奏でるヴァイオリンを作れる様になったそうです。(これは名古屋のヴァイオリンメーカー シャコンヌの窪田さんから伺いました)
失敗から生まれたロングセラーと言えば3Mの付箋、ポスト・イットを思い出します。
超強力接着剤の製品化が至上命題であった3M社試作過程で幾度と失敗しドラム缶一杯に残ってしまった、くっつかない糊。そこから、生まれたのがあの絶妙な加減の相手を傷めない付箋だそうです。
他にも…
お菓子の柿の種は当初は小判型の金型で切り抜いていたそうです。ある日、その金型をうっかり踏み潰してしまい、元に直らずそのまま使用したら、歪んだ小判型のあられになってしまいました。
そんなあられを持って商いをしていたところ、ある主人が「こんな歪んだ小判型はない。形は柿の種に似ている」といわれ、そのヒントから大正13年「柿の種」が誕生しました。と浪花屋製菓さんの説明にあります。
お客様に喜んで頂きたいと言う気持ちが、そこにあればどんな失敗も必ず皆の喜びに繋がるのですね。
商いの神様が見守ってくれていると感じずにはいられません。
(A)